(1)個展案内
■ギャルリー志門 〒104-0061 東京都中央区銀座6-13-7 新保ビル3F TEL:03-3541-2511
■2023年11月13日(月)−18日(土)11:00−19:00(最終日17:00)日曜定休
個展はまだ10ヶ月先の事ですが、そこに至るまでの過程を記録して行きます。(2023年1月)
(2)
あじさいの記憶 2023年6月 36×50×2cm
2016年の作品に色枠を付けて加筆しました。
(4)
むくげ習作 2023年6月 47×42×3cm
(5)3月〜9月
縁あってLAP(Luxembourg Art Prize)にもう一度応募してみる事になりました。今回はOn-line Presentationの全容を冊子化し、来たる個展に合わせて発表します。
(6)10月 A4サイズの個展案内 『PRESENTATION』
正誤表 P52 ・・・ ✕丑寅の金神様 〇艮の金神様
(7)Career■LAPのOn-line Presentation では、まず各アーチストが自身のCarrerを述べます。
50年前の世情にも不安というものはあったと思いますが、今日ほど深刻なものではありませんでした。取り敢えずここ、日本の話です。その頃に画家を志して美大に進学した私はと言えば、世の中の事どもには全く無関心で、只ひたすらに喜々として油絵を学んでおります。近代日本洋画に於ける<油絵芸術>を心の底から深く愛しておりました。(1973年~1976年)ご存知か!? 中村彝 佐伯祐三 岸田劉生・・・・・・嗚呼‼。
しかし油絵は既に古かった。学部を卒業する頃には早くも絶望し、院に進んだ1977年には決死の思いで<現代美術>に転向しています。大学院ではLee U-Fan先生のゼミを取りました。こうして油絵のみならず伝統的な絵画表現全般を、ひとたびは全否定しております。しかし翌1978年には、全く独自の立場から油彩による絵画表現の芸術的蘇生を目指す事になりました。<現代美術>の地平にあって<油絵芸術>に生きる事の奇跡を信じたのです。宗教的とも言えるこの立ち位置は、曖昧で非現実的なものでしたが、これは後に「DESSINER考」としてその体裁を整え、その後の活動の確固たる拠り所となって今日に至っております。それにしても1978年、一介の画学生に過ぎなかった私に一体何が起こっていたと言うのだろう?『Memos1978/龍法聖画論』なるものを書き付けています。・・・以来45年この一念、その見果てぬ夢を人知れず追い求めて来た画家人生でありました。
私の職業は高校美術教師でしたが、私にとって「Career」とは、あくまでも「DESSINER考:霊的曙光の奇跡に基づく絵画表現の芸術的蘇生」を世に弘めるための制作発表活動でした。それ以外の事にはどうしても専念できなかった。勤務先の先生方や生徒さんたちには本当に迷惑をかけてしまったな。しかし何としても私の画業を全世界に訴えねばならない。そして広く認知されねばならない。さもなければ、人類史はもはや途絶えてしまう他なかったのですから・・・中略・・・かくして2017年には時至れりと判断し、自らのサイトで『Gallery Talk』を綴り始めます。そして期せずしてその総括ともなった『Talk-77 : Map2022/地図』を発表した昨年の2022年に、たまたまLuxembourg Art Prizeなるものに出会い、こうして応募する事になったという訳です。初回は落選しましたが、縁あって今回の『PRESENTATION』に繋がりました。
思えばあれから50年。今やパンデミックに世界の分断、核戦争の危機、今なお止まらぬ開発と環境破壊、環境汚染、生態系のバランス崩壊、温暖化による異常気象、自然災害、エネルギー問題、原発問題、人口問題、食料問題etc.と、この半世紀でグローバルに顕在化してきた世情不安は、勢い世界の終末さえも想像させてしまいます。何とかしないと!! 今はアートなんぞ二の次だろう、と考える向きも現れて当然でしょう。全くその通りだと思います。しかし私には結局これしかない。これまで世間を尻目に只ひたすら、己の<油絵芸術>を追及するだけの独りよがりな人生でしたし、この先もそうして死ぬる他はありません。全く私はこの世で何の役にも立っていないのだな・・・。しかしそれでも私はあの「聖なる覚醒」の命ずるがまま、画業を通して無言で訴え続けるだけです。見よ!これこそが救いの“Treasure”なのである、と。
これがこの半世紀に亘る私のCareerです。
(8)期間中わざわざお越し頂いた皆様に心より深く御礼申し上げます。誠にありがとうございました。
今回の個展は 冊子『PRESENTATION』を東京で発表する事が目的でした。
私に作品が少ないのはみんな潰して来たからです。納得できないから潰す。潰してはまた描く。そうして描いてはまた潰す。いつもこの繰り返しでした。油絵を全否定してなお描き続けると言うのですから無理からぬ事でしょう。これを「究極の桎梏」「絶対矛盾の苦行」と書きました(Talk-77の7)。しかし数は少なくとも、小さくとも、そのつど生き残って来た作品があります。近年では、今回の個展で紹介させていただいた作品群です。こうして私は奇跡的に命を繋いで来ることが出来た。取りも直さずこれは、疲弊した<地球生命>の蘇生を示唆するものであると固く信じます。「どうだ見てくれ!聞いてくれ!かくも私たちの未来は新世紀の陽光に包まれているじゃないか!」 私はこの<誠の真実>を世界中に訴えたかったのです。画業を通して無言のままに・・・。
『曙光』を発表した「個展DESSINER考」から33年。たいへんな労力をつぎ込んで開いた鳴り物入りの個展でしたが・・・中略・・・しかしそれでも今回、こうした一連の活動には意味があったと信じます。冊子『PRESENTATION』は1000部発行し、その内150部は地元松山を中心に私から、650部はギャルリー志門から関東一円の関係筋に配布しております。
個展のあとは松山に引き上げるだけでしたが、その前に茨城県の五浦六角堂を訪れる事となりました。また帰路の途中では広島県の福山駅にある五浦釣人像を仰いでおります。
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